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仏教

縁起とは、仏教の根本思想である因縁生起の略で、すべての物事が因と縁の結びつきによって成り立つという法則です。釈迦が菩提樹下で悟った真理とされ、四諦や三法印、空、無我といった主要教義もこの見方から導かれます。

仏教

中道は、苦行と快楽という二つの極端を離れた仏教の根本姿勢であり、パーリ語マッジマー・パティパダーの訳語です。けれども、これは「ほどほど」や「足して2で割る」ことではなく、真理に適い、調和の取れた最適の道を選び続ける実践を指します。

キリスト教

修道院とは、修道士・修道女が一定の戒律に従い、祈りと労働のうちに共同生活を送る場であり、礼拝のために信者が集まる教会や修道会とは役割が異なります。3世紀エジプトの砂漠の隠者に始まる修道生活は、6世紀のベネディクトゥスと529年ごろのモンテ・カッシーノを起点にかたちを整え、

キリスト教

煉獄とは、神の恵みのうちに死んだものの、まだ罪の清めが終わっていない魂が一時的に浄化されるカトリックの死後理解である。鬼滅の刃やダンテ神曲 煉獄篇で耳にした言葉を地獄の一種だと思っていたなら、その見方はここで少し組み替わるはずです。

キリスト教

聖体拝領は、パンとぶどう酒を口にしてキリストの体と血にあずかるキリスト教の儀礼であり、最後の晩餐に由来します。比較宗教学を教える現場でも、まず「聖体拝領・聖餐式・領聖は別の儀礼ですか」という質問が出ますが、実際には同じ儀礼を教派ごとに呼び分けているだけです。

キリスト教

教会暦(典礼暦)は、1月始まりの一般カレンダーとは別に、待降節から降誕節、年間、四旬節、復活節へと進みながらイエスの生涯を1年かけてたどる暦である。クリスマスとイースターしか知らない人でも、その二つが大きな循環の一部だと分かると、年中行事はぐっと立体的に見えてきます。

比較・コラム

世界の宗教人口は、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、そして無宗教という少数の巨大な区分でほぼ全体像をつかめる。世界地図を前に「この色は何の宗教だろう」と即答できなかったことがありましたが、まず人口規模で眺めると、どの宗教がどれくらいの大きさで、どこに多いのかが一気に見えてきます。

比較・コラム

巡礼は、サンティアゴ巡礼や四国お遍路のように宗教ごとに別々の物語として語られがちですが、距離・期間・形・参加条件という共通の物差しで並べると、驚くほど構造が見えてきます。比較宗教学を教えてきた立場からすると、学生にこの話をすると毎年のように意外だと受け取られます。

比較・コラム

カルトとは、教義の珍しさで決まる呼び名ではなく、信者への虐待や自由の剥奪があるかどうかで線を引く概念です。比較宗教学を10年以上教えてきた現場でも、「この団体はカルトですか」と相談されたときは、まず教えの奇妙さではなく、その中で何が起きているかを聞き返してきました。

仏教

チベット仏教は、大乗仏教の一系統でありながら、インド後期密教の金剛乗を出家制度と戒律とともに体系化した総合仏教である。世界の信者は約900万人以上と推定され、チベット文化圏からモンゴル文化圏、ブータンへと広がってきました。

比較・コラム

イコン、仏像、曼荼羅は、いずれも信仰を目に見える形にした宗教美術ですが、作られ方も意味づけもまったく違います。美術館で正教会のイコン密教の両界曼荼羅ガンダーラ仏が並ぶ場面に立つと、同じ「宗教美術」という括りの中で、絵画・立像・宇宙図という異なる世界が並んでいることに驚くはずです。

比較・コラム

宗教における食の禁忌は、同じ豚や牛でも意味が宗教ごとにまるで変わるため、相手に何を出してよいかを即断したい飲食・観光の現場では、最初に押さえておくべき論点です。イスラム教ではコーランの明文が豚肉や死肉、血を禁じ、ユダヤ教では反芻とひづめの二条件から豚が外れるように、