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ヒンドゥー教

ガンジス川は、ヒマラヤの氷河を源流にインド、ネパール、バングラデシュを流れてベンガル湾へ注ぐ全長約2525kmの大河であり、ヒンドゥー教徒にとっては女神ガンガーそのものとして崇拝される聖なる川です。

ヒンドゥー教

梵我一如は、ヒンドゥー教とインド哲学の中心にある思想で、宇宙の根本原理ブラフマンと、個人の最も奥にある真の自己アートマンが本質的に同一だと説きます。倫理や世界史でウパニシャッドを学んだとき、ブラフマンとアートマンという似た響きの語だけが浮いてしまい、結局何を言っているのか掴みにくかったというつまずきも、

ヒンドゥー教

アヴァターラとは、サンスクリットの avatāra に由来する言葉で、ava(下へ)と tṛ(渡る・越える)から成り、神が地上へ降りてくる「降臨」を意味します。ヒンドゥー教では主に維持神ヴィシュヌの化身を指し、悪が栄えてダルマが揺らぐたびに、世界を救うため何度でも姿をとる存在として語られてきました。

仏教

盂蘭盆会は、私たちが普段「お盆」と呼ぶ行事の正式名称であり、「うらぼんえ」と読みます。太陰暦7月15日を中心に7月13日から16日まで営まれ、先祖や亡き家族の霊を家に迎えて供養する仏教行事として、日本では古くから定着してきました。

仏教

成仏とは、仏陀、つまり「覚れる者」になることを指し、本来は悟りを開く意味です。釈迦が菩提樹の下で成就したのがその原型で、死そのものを表す言葉ではありません。法事の席で「故人はもう成仏したのか」と尋ねられ、宗派によって答えが正反対になる場面に戸惑ったことがありますが、

仏教

四天王は、持国天・増長天・広目天・多聞天からなる四尊の総称で、仏教の世界観では須弥山の四方を守る護法善神です。東大寺戒壇堂で初めて四天王像と向き合ったとき、踏みつけられた邪鬼の表情にまで物語が宿っていると感じたのをよく覚えています。

仏教

地蔵菩薩は、道端や墓地、寺の門前で見かけるお地蔵様の正式名で、仏の階位では如来に次ぐ菩薩に位置づけられます。釈迦の入滅後、弥勒菩薩が現れるまでの無仏時代に六道の衆生を救うよう託された存在であり、その役割の大きさは、釈迦入滅から56億7千万年後とされる弥勒の出現までを一身に担う点にも表れています。

仏教

不動明王は、密教で成立した明王の一尊であり、大日如来が衆生を救うために忿怒の姿へ変じた教令輪身とされる仏です。サンスクリット名のアチャラナータは「動かない守護者」を意味し、剣と縄を携えた恐ろしい姿も、迷いを断ち切って救い上げる慈悲のあらわれだと理解できます。

仏教

阿弥陀如来は、西方極楽浄土の教主として、南無阿弥陀仏と称える人を救うと誓った仏です。法事や仏壇で目にする機会は多いのに、名前の由来や救いの仕組みまで知っている人は案外少ないのではないでしょうか。

仏教

四苦八苦は、仏教が説く人間の根本的な八つの苦しみを指す言葉で、読み方は「しくはっく」です。日常では「ひどく苦労する」という慣用句として知られますが、法話や除夜の鐘の解説で耳にした人ほど、その言葉が釈迦の教えの中心にあると知って驚くはずでしょう。

キリスト教

ロザリオは、カトリック教会でアヴェ・マリアの祈りなどを繰り返し唱える回数を数えるために用いる祈りの用具であり、語源はラテン語の rosarium にさかのぼります。聖母マリアへ霊的なバラの花冠を捧げる象徴を持つため、見た目はネックレスに近くても、まずは装身具ではなく祈りの道具だと押さえる必要があります。

キリスト教

聖霊は、父・子・聖霊からなる三位一体の第三の位格であり、ふわっとした「力」や「気」ではなく、知性・感情・意志を持つ人格的な神です。父が創造と維持、子が救い、聖霊が人の内に信仰を生み育てるという役割分担を押さえるだけで、三位一体の見え方はかなり整理されます。